感情としての生きがい感この章では、何が生きがいになりうるかではなく、生きがいとはどういう感情かがテーマです。 最初は、よろこびです。 例として、岡潔と詩人が挙げられています。 岡潔の例については、私も物理を研究しているので、少しコメントをしたいと思います。 岡潔は有名な数学者ですが、 ここでは研究の「純粋な」喜びが生きがいだという手記を引用しています。 「純粋な」喜びとは、目的、効用、必要、理由等と関係しない喜びだと 説明しています。 しかし、そういう「純粋な」喜びを生きがいに出来る人は、ほんのわずかでしょう。 研究を職業にしている人であっても、「純粋な」喜びだけを感じて生きがいにするのは、 難しいと思います。 研究に喜びを感じる事はあっても、 それ以上に、自信をなくしたり、将来に不安を感じたりするのが普通です。 まして、学生の立場であれば、職業としてやっていけるかどうかの現実的な問題もあり、 「純粋な」喜びを生きがいに出来る人は少ないと思います。 一通り、喜びの説明をした後、喜びの「副産物」の話に入ります。
よろこびの他にも、
認識としての生きがい感この章では、認識、つまりはっきりした意識の中で生きがいはどのように考えられるかについて、 議論しています。
このような事が、生きがいに関係して、考えられる事に挙げられています。 これらに対して、確信を持って答えられるものが1つでもある時、 生きがいが感じられるというわけです。 次にどのような時に、上のような事を考えるのかを考察しています。 一般的には、成年に達し、仕事で毎日忙しければ、考えません。 最も激しく、真剣に考えるのはやはり青年期です。 しかし、この本では、老人期に深刻になる可能性を指摘しています。 使命感生きがいにとって使命感は、とても重要である事から、次に使命感の分析に入ります。 生きがいを無くして、辛い毎日をおくっている人がそこから脱出するには、 自分で新しい生きがいを探さなければ、なりませんが、 その時、どういうものが生きがいになるかという事は、大事な指針になります。 使命感は、生きがいの1つの条件になり得ます。 著者は、シュバイツアーとミルトンの具体例を述べて、 使命感は、生き方に強い統合作用を持つと結論しています。 この事が生きがいに大きな意味を持つのです。 一時期、楽しい幸せな時間を過ごす事が出来ても、 苦しい時期は再びやってきます。 その時、使命感の統合作用がその苦しみからその人を救う事が出来るのです。 |