ついにこの本のピークにきました。 生きがいを失った人たちはどうやって新しい生きがいを見つけるのでしょう。 その分析がこの章です。 もし、生きがいをなくすほどの苦悩に見舞われなければ、 生きがいは自然に得られます。 あるいは、毎日楽しく暮らしている人は、生きがい自体を意識していないかも知れません。 しかし、大変な苦悩や悲しみにおそわれた人は、それまでの生きがいをなくし、 新しい生きがいを探すことになります。 新しい生きがいは、意図的に探さないと見つかりません。 しかも、自分で探さなければなりません。 いろいろあたってみて自分にあった生きがいを探すという余裕はもうありません。 あらかじめ試すことなしに見つけるしかないのです。 もちろん何でも良いというわけではありません。 新しい生きがいは、簡単になくなるものでは困りますから、 残りの一生を賭けれるものでなければなりません。 どんなに苦しくても辛くても、それにむかって進めるものを探さなければならないのです。 それが、自分「自身の内部にある本質的なものに」他なりません。 だから、新しい生きがいになりうる条件というのがとても大事です。 それがあらかじめわかっていたら、かなり助けになります。 その大事な条件の一つが「誰かのために」です。 やはり、他人のために役立つというのがもっとも基本になります。 「2. 生きがいを感じる心」のところで岡潔の例が挙がっていましたが、 一度生きがいをなくすほどの苦しみを経験すると、 研究とか学問などが生きがいになりにくい気がします。 もっと、直接的に他人の役に立つ、自分が他人に必要とされている実感がなければ、 難しい気がします。 生存目標の変化の様式新しい生きがいの見つけ方のおおざっぱな分類がされます。 以前の古い生きがいと外見が同じ場合(代償)、外見は違っても本質的には同じ場合(変形)、 外形も内容も以前とまったく違う場合(置きかえ)の3つの分類にしたがって、 後の議論が進みます。同じ形での代償何かを失ったとき、その代わりのものをつくることは良くあることですが、 形式的に代わるものであっても、失ったことによる傷が深ければ深いほど、 新しいものは以前とまったく違う意味を持ちます。 新しいものに対する態度は古いものとは決定的に違います。 特に愛する人を失ったとき、大事な人を失ったときは、 新しい恋人や養子やその代わりになる人を得ることが出来ても、その人に対する態度は、 以前とはまったく違うでしょう。 変形置きかえ心の構造の変化広がりの変化社会化苦しみはいつも個人的なもので、100人いれば100通りの苦しみがあると思われがちです。 特に苦しみにぶつかった最初の頃は、この苦しみは自分だけのものだと思うものです。 しかし、新しい生きがいを見つけるためにはこの考えを180度変換しなければなりません。 苦しみを自分だけのものと思い、苦しみを普遍化できない限りは、 決して新しい生きがいは見つからないのです。 もし、自分の受けた苦しみに人類共通のものを見つけることが出来たなら、 その人は、もう1人ではありません。 何人もの人とともに人類共通の苦しみと戦うことが出来るのです。 歴史化どんな人でも歴史はいつも良い方へ向かうと確信出来ます。 実際、紆余曲折はありますが、長い尺度で見れば、歴史は良い方に流れているといえるでしょう。 原始の時代から現代まで、人権に対する考え方から政治体制、 さらには文明と呼ばれているものまで、発達することはあっても、 ひどい方向には行っていないでしょう。 ですから、自分の苦しみが歴史の中で位置づけることができれば、 新しい生きがいは目の前です。 歴史の中で自分の生きる役割を見つけること、これが新しい生きがいにはとても重要です。 心の奥行の変化「心の奥行」とは何でしょう。 心に奥行きがあるのでしょうか。 この本では、3次元の空間を目がどうやって見ているかを考え、 そこから 「心の奥行」を考えています。 つまり、人間は2つの目を使って、1つのものを別の角度が見ることで、 3次元空間の奥行きをつかんでいるわけです。 したがって、「心」の場合も、1つの見方ではなく、いくつかの見方で物事を見れるようになったとき、 「奥行き」がでたと思うわけです。 そして大事なことは、生きがいを失うくらいの苦しみを受けた人は、 心に奥行きが生まれやすいということです。 苦しみことによって得るものは、たくさんありますが、その一つが物事の深い見方、 いくつかの角度からの見方なのです。 精神化 |